セル家族集い分かち合い教材 9

  マタイ26:47-56                                                                           2008.12.7.        
  聖書に従う生                                                          東京韓人長老教会 金龍洙牧師

51そのとき, イエス と 一緖にいた 者の 一人が, 手を 伸ばして 劍を 拔き, 大祭司の 手下に 打ちかかって, 片方の   耳を 切り 落とした.
52そこで, イエス は 言われた. 「劍をさやに 納めなさい. 劍を 取る 者は 皆, 劍で 滅びる.
53わたしが 父にお 願いできないとでも 思うのか. お 願いすれば, 父は 十二軍團以上の 天使を 今すぐ 送ってくださる   であろう.
54しかしそれでは, 必ずこうなると 書かれている 聖書の 言葉がどうして 實現されよう. 」
55またそのとき, 群衆に 言われた. 「まるで 强盜にでも 向かうように, 劍や 棒を 持って 捕らえに 來たのか. わたしは   每日, 神殿の 境內に 座って 敎えていたのに, あなたたちはわたしを 捕らえなかった.
56 このすべてのことが 起こったのは, 預言者たちの 書いたことが 實現するためである. 」このとき, 弟子たちは 皆,   イエス を 見捨てて 逃げてしまった

聖書に従う生は...
感情的な生ではありません(51節)-イエス と 一緖にいた 者の 一人が, 手を 伸ばして 劍を 拔き, 大祭司の 手下に                 打ちかかって,片方の耳を 切り 落とした
   我らには瞬間的に起きる不安定な感情があります。全然意識にはなかった行動がある特定なきっかけで突発的に起こることです。特に人の怒りは何も制御することができないぐらい強く発散されて爆発されてしまいます。多勢な人が自分の感情の奴隷になっています。感情は普段受けられてた傷や痛みなどが潜在されてたのに起きることです。感情によって生きる人はその感情が冷めても問題です。こんなに燃える感情も冷めたら皆が逃げてしまったのです。56節ー 弟子たちは 皆,イエス を 見捨てて 逃げてしまった

力で生きる生ではありません。(52절)-そこで, イエス は 言われた. 「劍をさやに 納めなさい. 劍を 取る 者は 皆, 劍                    で 滅びる
   人々は強い力を持とうとしています。しかし、力を持つ確かな理由を知ってないことに問題があります。何を知っていませんか?力を持とうとしてるぐらい自分の無力感を知っていないことです。主は我らの強い力で働く方ではありません。弱気者を挙げて強気物をに恥をさせる方です。我らが立派な人生を生きる道は聖書の原理を悟ることからです。だから主も聖書に従う生を送りました。その道は大勢の人のための贖いの死の道でしたがそれこそ父の御心のとおりになることを知っていました。

自分の願いばかりかなえる生でわありません(53節)-わたしが 父にお 願いできないとでも 思うのか. お 願いすれば,
                        父は 十二軍團以上の 天使を 今すぐ 送ってくださるであろう
 自己中心的な我らは自分の立場で物や事件を見てそれを仕上げようとしています。他人に対する配慮は後回しにします。 主は今自分の問題を解決ができなかったではありません。自分願いの通りだったらその場で天使の軍団を呼んで解決することもできます。しかし、主は自分の願いばかりにしていません。自分の願いより父の願いをもっと大事にしていたことです。

父の御心を知っている生です(54節)-しかしそれでは,必ずこうなると 書かれている 聖書の 言葉がどうして
                  實現されよう。
我らの人生の混沌は私に対する父の御心を理解できなかったことで大きな理由があります。我らの誤っている習慣の一つは‘知らなかった’と言うことです。知らないと言うことで免罪符が与えられると錯覚していることです。知っていても自分の願いの方が先になって聖書での父の御心に喜んで従えないことです。.

               分かち合い

1. あなたは感情的ですか?感動的ですか?

2. あなたの力と主から与えられた力とどちがあなた人生に影響力がありますか?


3. あなたは自己中心的ですか?聖書中心的ですか?

4. あなたはあなたに対する神様の御心を確かに知っていますか?そしてそれに喜んで従っていますか?
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