1982年、ソ連の最高指導者ブレジネフ書記長が亡くなり、
その葬儀でのこと。
ビクトリア夫人は、あまりに勇敢な行動をとった。
それは、夫の亡骸を入れた棺のふたがまさに閉められようとする瞬間、
彼女は、亡夫の胸に十字をきったのだ。
たくさんのTVカメラと、大衆の目が見守る中での行動だった。

彼女は、共産圏であるソ連の指導者の妻なのだ。
その妻がクリスチャンであること・・・・・・。
彼女のとった行動が、いかに勇敢なものであったか想像できるだろう。

むろん、死者の体に十字をきったからといって
その人が救われるのではない。
だが、彼女がしたことは
生きていたときの夫の思想が「間違っていた」という
意思表示であったことは事実であった。

今、お盆を迎え、
日本の中で私たちはどのように自分の信仰を表すことができるだろうか。

心の中でキリストを受け入れることで救われることは知っている。
しかし、意外と、
死んだ後のことって語られていないんじゃないだろうか。


キリストが復活されたことにより、
私たちも復活する希望を与えられた。
それは、霊による復活だけではなく、
肉体を持って復活するということだ。

肉体の復活・・・・・?
どんなふうに・・・・・・・・?

それは「あきらかに今までと違う体」ということだ。

種は地にまかれ(死を表す)
そのご、その種は、驚くべき変化の中で成長してよみがえる。
それと同じように
私たちは「死」を通って、
「朽ちるもの」から「朽ちないもの」へ変化させられる。
               (35~38節)

病気もなく、老化もない。
尽きないエネルギーがわきあがり
健康とスタミナが完全なものとなる。

私(ジョン)は、この夏、目の手術によって
奇跡のように視力を取り戻し
「新しいからだを持った時の気持ち」を体験した。
今までとはまったく違う。
ミラクル!まさに「若返り体験」とも言えるべき出来事だった。

アダムとエバが、子どもではなく、
成熟した若々しい「大人」だったことを考えると
神様の理想とする人間の姿は
子どもでもなく、老人ではなく、若々しい大人なんだと思う。
だから、
死んで天国に行ったときには
子どもは成長した姿になり、
老人は若返った姿になるのではないだろうか。


   おおお~!若返ってナイスバディ!
   天国はやっぱりパラダイスだよね!
   (なんて浮かれちゃダメダメ!) byめりー


新しいからだとは、朽ちない体というだけではない。
「神の栄光をあらわす体」でもある。

聖書のあちこちに登場する「天の御使い」は、
どの記述を見ても明るく輝いている。
神の栄光がまぶしく輝くのであろう。

自分自身が輝く姿を想像してみよう。

イエス様のように復活した体は、
イエス様のようになると思われる。
イエス様がこの世に現われた姿も、
やはり「光輝いている」のであった。


しかも、その新しい体は、
この世の物理的な法則に影響されない。
空を飛んだり、瞬間移動したり、ドアをすり抜けたり・・・
とにかくすごい。

「永遠で、完全で、制限がない」
私たちは死んだらそんな姿に復活できるのか・・・・
ある意味ワクワク♪

しかし、ここからが大事!

もっとも大切なのは、ナイスバディーとかじゃなく
「霊的な完全さ」なのである!!!
罪に完全に勝つことができる力。
神に完全に従うことのできる力。
努力してそうなるのではない。
神と同じ性質を持つようになるということなのだ!!!!!!

弱さのうちに蒔かれるが、強さによってよみがえる。
土でつくられた「最初のアダム」と、
同じ性質を持ち続けるのではなく
天から出た「最後のアダム」(イエス様)と同じになれるのだ。
                (42~49節)

そう、それは
「神は、私たちの主、イエス・キリストによって、
 私たちに勝利を与えてくださいました」(57節)
というとおりなのである。


    ナイスバディ!
    ナイス復活!
    ナイス勝利!
    サンキューGOD!
    (ああ、なんて軽い感想なんでしょう・・・)

死後の世界を語ったメッセージだったのに
妙に明るく、希望のあるメッセージだったことでした。