中学生の時、友達の家のすぐそばに洋風づくりのお洒落な教会が建っていました。私達は、学校の行き帰り、毎日その教会の前を通っていました。 ある日、ふと気が付くと、教会の前に張り紙がしてありました。「バイブルクラス」へのお誘いの張り紙でした。当時、イギリスのアイドルバンドに惚れ込んでいた私と友人3人は、無料で英語が習えるその「バイブルクラス」に飛びついたのでした。

 このバイブルクラスが私とイエスさまの最初の出会いです。その前にも、小学生のとき、友達に連れられて、教会へ行ったり、宣教師の子ども達と遊んだりと、イエスさまとの出会いがなかったわけではありません。
 しかし、バイブルクラスの先生、Y先生にお会いしなければ、私はクリスチャンにならなかったでしょう。私は、とても熱心に通いました。中学、高校のほぼ6年間、ほとんど休まずに毎週、教会へ通いました。しかし、バイブルクラスの後の礼拝には、ほとんど行きませんでした。私の目的は、ただひとつ英語を学ぶことでした。こんな罰当たり(?)な生徒でも、Y先生は、いつも笑顔で大歓迎してくださいました。

 大学時代は、家から出て、下宿していたので、バイブルクラスは、お休みしていましたが、Y先生のお宅には時々遊びに行ったりしていました。Y先生のご主人は、日本人ですが、Y先生がアメリカの方なので、お宅の雰囲気は、外国のお家のようでした。

 就職と同時に実家に戻った私は、またY先生のクラスに戻りました。 中学生の頃から、20代後半までは、信仰的には、何の変化もありません。私は、バイブルクラスで、熱心に英語で聖書を学んでいましたが、イエスさまのことを知りたいわけではありませんでした。時々、教会へ行き、宣教師の先生とお話ししたり、礼拝にも出席しましたが、それは、バイブルクラスの「つきあい」でしかありませんでした。


 しかし、神様がご用意してくださっていた「時」がとうとうやってきました。結婚して5年目、子どもが1歳になったばかりの頃です。数年前に病気になり、再発、手術、化学療法を繰り返していた母の容態がいよいよ悪くなりました。あと、どれくらい生きていてくれるのか・・・・。私は、大好きな母がいなくなることを考えると絶望的な気持ちになりました。でも、同じ気持ちでいるはずの父と、弟には、とてもそのつらさを話すことなどできませんでした。私は、しばらくお会いしていなかったY先生に電話をしました。Y先生の優しいお声を聞くと、とても安心した気分になりました。そして、先生は「近くに聖書があれば、持ってきてください。」と、そして、「ヨハネの福音書の3章16節を読んでください。」と、言われました。私は、電話口で声を出して読みました。「神は,その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」すると、先生は、「今度は、『世』のところに自分の名前に入れ替えて読んでみてください。」私は、もう一度、声に出して、読みました。その時、私の中で、神様がはっきりと入って来られたのがわかりました。神様というのは、教会や神社にいて、不特定多数の人々をなんとなく見ているのではない・・・!今、ここにいる私を見ておられ、確かに私のことを心配し、大切に思ってくださっていると、感じたのです。それは、とても不思議な感覚でした。今までに感じたことのないものでした。
 しかし、 残念ながら、この体験ですぐに、私は神様を信じるようになったわけではありません。まだ、イエス・キリストという人が不可解でした。何年もバイブルクラスで、Jesus Christについて、学びました。何度もY先生が「I love Jesus!」と、言われるのを聞いていました。けれども、私の心はとても頑なだったのです。イエス・キリストは、歴史上の人物以上には、思えなかったのです。


1993年の春のころです。
 いよいよ、母の容態も悪くなってきました。一月に転移した肝臓の手術をしました。いったんは退院し、元気になったかのようでした。しかし、3月には、食事も取れなくなりました。母は、体が、とてもつらいのに、入院するのは、ギリギリまで伸ばしているようでした。今度、入院すればもう、帰って来られないのがわかっていたのでしょうか。
  私は、何とかしてイエスさまを信じられたら・・・と思っていました。母という大切な人を失いかけている時に、私には誰か私の体と心と魂を支えてくれる人が必要でした。しかし、イエス・キリストを神の子、救い主として受け入れることなど、なかなかできませんでした。だけど、心では強烈に信じたいと望んでいました。
  母の病院へ一才を少し過ぎたばかりの長男と毎日通いました。そして、育児と家事の合間に、私は、新約聖書をどんどん読みました。左手で長男にお乳をやりながら、右手に聖書を持って読みました。煮物が煮えるあいだに、お鍋の前で火を気にしながら読みました。
  信じたい・・・・だけど、いるか、いないか、わからないようなイエス・キリストを信じるなんてとうてい不可能な気がしました。

  ある日のことです。いつものように、わからないながらも読んでいた聖書に気になる箇所がありました。弟子の一人、トマスは、仲間の弟子達から復活されたイエスに出会った話を聞いてもそのことを信じることができませんでした。その後イエス様が現れる場面です。

 【 ヨハネによる福音書20章24節~27節(共同訳)
  十二人の一人でディディモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたとき、彼らと一緒にいなかった。
  そこで、他の弟子達が、「わたしたちは主をみた」と言うと、トマスは言った。「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、私は決して信じない。」 さて、八日の後、弟子達は、また家の中におり、トマスも一緒にいた。戸にはみな鍵がかけてあったのに、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。「あなたの指をここに当てて、私の手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、私のわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」】

 この場面を読んだとき、私もやってみようかなと思ったのです。トマスは、イエスさまを目の前にし、傷に手を入れた時、信じることができたのなら、ここにイエスさまが居られると考えて、私も指を主の手の釘跡に入れ、わき腹の傷に触れてみよう。そうしたら、どうにかなるのかなど、考えませんでした。ただ、実際に見なければ信じないと言ったトマスの言葉は、私の言葉そのものだったので、彼がしたことなら、私もするべきだと思えたのです。
  目をつぶり、想像力を働かせ、私の目の前にイエスさまがおられると考えました。目の前のイエスさまは、右の手のひらをゆっくりを私のほうに伸ばされました。イエスさまの傷は、痛々しく穴があいていました。そこへ触れようと私が手を伸ばそうとした時、イエス様は、その右の手を私の肩にゆっくりと乗せられたのです。その瞬間、イエスさまは、消えました。そのかわり、何とも言えない安らいだ気持ちが私の体を覆いました。母の死を目の前にし、精神的にも、肉体的にも、疲れ切っていた私の体が軽くなるような・・・とても口では言えない、癒された体験でした。たとえば、とても辛く、苦しく、ヘトヘトになった日が終わり、もう何の心配もなく、ベッドにもぐり込んだ瞬間の開放感のような・・・・そんな気分でした。
  
この経験は、私を完全に変えました。
イエス・キリストは、歴史上の人物でも、他人の救い主でもありません。
紛れもなく、今も生きて働いておられる、神の御子、私の救い主となったのです。