私は今年の4月ごろ、鄭さんという女性に天神で会いました。
彼女は福岡CCC(キャンパス・クルセード・フォー・クライスト)のメンバーで、天神で讃美歌を歌ったり、小冊子を配ったりして、路傍で伝道していたのです。そのとき私は讃美歌を聴くだけ下が、次第に宗教のことで話をするようになりました。
私は仏教、鄭さんはキリスト教で、話すたびに議論になりましたが、何回か会っているうちに、少しずつキリスト教のことが分かるようになりました。
でも、そのときは自分自身、キリスト教に入信するとは思いませんでした。私は長男で、先祖を守らなければならないと思っていたのです。
 それから何回となく自分の身の上話をしたときに、「あなたは親、兄弟、妻や娘を捨てて家を出ているのに、なぜ、先祖のことにこだわるのか」と言われ、今までのことを思い出して悩みましたが、自分に踏ん切りがつき、キリストを信じる決心をしました。
 6月の第一日曜日に教会に行き、生まれて初めて礼拝を見、説教を聞きました。これがキリスト教の教えかと思いつつ、何か昔の人がよく言っていたことと同じだなと考えている間に、あっという間に礼拝が終わりました。次の週にはバプテスマを見ることが出来ました。これが鄭さんが言っていたバプテスマで、一度水に沈んで自分に死に、水から上がって新しく生まれ変わる儀式かと思いました。
 
聖書の中に放蕩息子のたとえという箇所がありますが、私は若いとき、その放蕩息子以上のことをして、大きな罪を犯しました。親が商売をしていて、親と一緒に仕事をしていましたが、20数年の間、集金したお金をそのまま持ち出したり、サラ金からお金を借りて家を飛び出し、遊びほうけていました。
お金がなくなると、誰かを頼り、その人に中に入ってもらって家に帰るという、そういうことを何十回となく繰り返し行っていました。そのころは、自分が悪いとも何とも思いませんでした。家が2~3軒建てられるくらいのお金を使って親の財産を食い潰し、家名を傷つけました。親、兄弟、妻、娘、友人に大変迷惑をかけました。放蕩息子の話を聞くにつけ、一つ一つ思い出され、大変反省しています。
 以前は、何か物事をするとき、全部一度にやろうとして何もかも中途半端で終わっていました。今は聖書を読み、人の話をよく聞いて、出来ることから一つずつ解決していくように努めています。聖書を読んだり人の話をよく聞くことによって心が落ち着き、冷静になって物事に取り組むことが出来るようになりました。
 私は今まで色々な罪を犯しましたが、その一つ一つの罪を悔い改めます。
私は、イエス・キリストを救い主と信じ、主として受け入れ、生まれ変わって、今まで以上に、イエス・キリストと心を一つに受け入れ、生涯、キリストに従って、教会活動、及び私生活を守ろうと決心しています。
今はホームレスをしていますが、バプテスマを受けて生まれ変わり、一日も早く普通の生活に戻りたいと思っています。それが、私の本当の悔い改めだと思っています。
 
最後に、「元気ですか。聖書を読んでいますか。教会に行っていますか」と、いつも心に留めて私をここまで導いてくれた鄭さんに、心から感謝しています。また、こんな私のために、牧師先生をはじめ教会の皆様にも、温かく見守ってご指導をして頂いたことを感謝しています。