いつも教会の兄弟姉妹方のお祈りに感謝しています。  短大へと導かれたことを、証ししたいと思います。
  
私は、中学の時から、なぜかどうしても保母さんになりたくて、高校受験の時も保母になりたいために、家政科を志望しました。
でも、見事に落ちてしまい、私立は受けていませんでしたので、行く所がなくなってしまいました私にとってこんなに苦しかった事は、今までの人生でありませんでした。
大変なショックだったのですが、この事を通して、神様は私を献身へと導かれました。後ほど知った事ですが、母が受験を通して献身するよう祈ってくれていて、他の兄姉方も祈って下さっていたとの事でした。

このようにして、私は今の学校へ導かれました。
入学してからも、やはり保母ということが、頭から離れる事なく、今までやって来ました。
そして、又、ちょうど学んだのが、福祉科でしたので、将来3年間、福祉の勉強をした上で、介護福祉士になりたいという思いもありました。

そうこうしている内に、高3になり、あっという間に、進路を考えなければならない時期になってしまいました。
私は就職というのは、なぜか考えられなくて、考えるのは進学の方でした。進学となると、姉妹校である福祉の専門学校でした。
そこへ行きたいと思っていましたが、大変な費用がかかるので、だめだ!そこには、行けないと自分に言い聞かせていました。

でも、もし神様のみこころなら、すべて与えられる。
その事だけを思い、介護福祉士と保母の資格、両方が揃っている学校だったので、こんなに良いチャンスは無いと思いました。
先生に費用の事を相談すると、「校長に聞いてあげる」と言われ、話がどんどん進んで行きました。
費用の事はとりあえず合格してからという事で、受験し、合格しました。
それから、学校側と話して行くと、なぜか暗闇に落ちて行くように、門が閉ざされているようでした。何か平安がないのです。私は、本当にこの道に進のが、みこころなのか、そう思い始めました。

私は、将来、神学校へ行きたいという思いが与えられています。
専門学校は、大変な費用がかかり、3年間行かなくてはなりません。そんな、こんなで考えて行くと、自分の進むべき道が、どの道なのか、みこころは何なのかと、思い始めました。
あんまり神様に求めないで、自分の思いで、進路を考えていたのではないか、そういうふうに感じ始めました。

そんな時に、短大の話が出てきました。2年で、しかも費用も専門学校より安いです。
でも、迷いました。自分の気持ちを捨てなければならないからです。
一人で、聖書を読み、祈っていると、涙が出てきました。
私は、神様にすべてを委ねて献身していたのに、自分の事ばかり考えて、神様のためにすべてを献げていないという事が、とてもよくわかりました。
それが、ものすごく辛かったのです。イエス様に「ごめんなさい。」と謝りました。

それから、聖書を読んでいると、出エジプトのところで、『わたしの声に聞き従い、わたしの契約を守るなら・・わたしの宝となる。』と、私に語って下さいました。
「けれど、聞き従いたいけれど、私は、どの道に進めばよいのかわかりません」と、イエス様に言いました。
そうこうしている内に、専門学校か、短大かの答えを、出さなければならない日に、近づいてきました。
でも、はっきりした御言葉が与えられませんでした。

そして、返事をしなければならない当日になっても・・
私は、朝、起きて、もう心からイエス様に叫びました。
「イエス様!私に語って下さい。もう時間がありません。」その時はもう7:30で、用意をして学校へ行かねばなりません。
私はすごく焦ってきましたが、もうこんなに叫ぶ事がないくらい、心の底から叫びました。

そうすると、その時、申命記のところから『向きを変えて、出発しなさい』と、私に語って下さいました。
その言葉が、私の心にスッーと入ってきて、私は決心できました。
イエス様、短大の方へ導いておられるとわかりました。本当に感謝でした。心に平安がやってきて、決心できました。

母が、「どうする?」と聞きました。
この私の口から「短大へ行く」と、はっきり言いました。これは信じられない事でした。
私は、本当に、どっちにすると言われたら、必ず答えられない性格なので、こんなに重大な事を、私の口が喋ったという事も、私には信じられないことでした。
本当に感謝なばかりです。その日の朝は、やけに長く感じました。

その日、家に帰ると、母から、40万円与えられたという事を聞きました。
ある人が私のために献げて下さいました。私は何が、なんだかわかりませんでした。
でも一つわかったのが、神様は、本当に何でも出来る素晴らしいお方という事です。
また、この事を通して、イエス様は、私に近づいて下さいました。
本当に感謝です。一時的には、辛い日が続きましたが、悲しみは喜びに変わるということを、もう一度、教えて下さいました。
これからも、すべてを神様にゆだねて、これからの人生を生きて行きたいと思います。


『・・生きるにしても、死ぬにしても、私の身によって、キリストのすばらしさが現わされることを求める私の切なる願いと望みにかなっているのです。』ピリピ1:20

私のために祈って下さって、本当に有難うございました。私は本当に恵まれています。
これからの新しこのためにも、お祈り下されば嬉しいです。