私は17歳の時に母を失いました。
 クリスチャンの母は私の幼い日、私をよく教会や家庭集会に連れて行ってくれました。当時住んでいた辺りには田舎ゆえ幼稚園が無く、私は小学校へ上がる迄、信者さん達に愛され、又母の弾くオルガンで賛美歌を唱ったり母の祈りに耳を傾けて育っていきました。 小2になって大きな町に引っ越してから、日曜学校へ姉と通うようになったのですが、そのうち第二次世界大戦の戦局が激しくなり、やがて軍部の圧力によって教会は閉鎖されてしまいました。一方、女学校では月に2回、隊列を組んで戦争必勝祈願の神社参拝が行われていました。

 昭和20年の夏、日本が戦争に敗れた頃、母は癌に倒れ、2年後、帰らぬ人となりました。私は末っ子の甘えたで、何でも母に頼りっきり(母の指示は神様のみこころと思っていた)でしたから、悲しみとよりどころの無さで、私ほど不幸な者はいないと嘆き、一方、早く自立しなければと思う日々を送っておりました。
 程なく母への思慕から教会へ行くようになり、ぐんぐんと神の愛に引き込まれて、同じ17歳の終わり頃に受洗の恵みにあずかる事が出来ました。その時から、友達も驚く程に私は変えられていったようです。天国で亡き母に再会出来る希望と喜びを持ち、人の気づかない所で陰の奉仕もするようになったり、又、クリスチャンゆえにミッションスクールに奉職でき、そこで多くの信仰の養いを受ける事が出来ました。

 結婚後、又悲しい事が起こりました。与えられた長男が程なく召され、先の母召天の折りの悲しみにも増しての深い痛みは、何年経っても癒されませんでした。しかし今、私は「神が総ての事を働かせて益として下さる事を私たちは知っています。」(聖書ローマ8:28) というみことばをアーメンと受け取っています。
 幼稚園へ行けなかったけれど、その間、信仰を育ててもらったし、短い母との時間を濃いものにしてもらえたし、又、母の召天という悲しい現実に私は自立する事が出来、教会へ導かれ真の幸せを戴いた事を心から感謝しています。又、息子の死によって、私と同じ悲しみの中におられる方々をお慰めさせて頂けたし、特に私達の牧師先生が、丁度、亡き長男と同学年でいらっしゃることから、私の息子も先生の様に立派になっていたかなと、慰めを受け感謝しています。
 これらの事を通して、神のなさる事は何一つ無駄がなく最善であり、総てを益として下さる事を覚え、心から主を賛美しています。