自己紹介になりますが、私は、22才で結婚しました。それまでの私は、のんきな性格で、一生自分の好きな事をし、気楽に暮して行けたら、それが幸せと思っており、又、本当に気ままに過ごしていました。ずっと自分の好きな事、気の向く事だけをしていたような気がします。
結婚と同時に、岡山の県北に行きました。山間の小さな公務員住宅で、周囲に溶け込めない奥さん達がいつも一緒にかたまっている、というところでした。
うっとうしいと思い、これが転勤族の悲哀と、他人事のように見ている内に、自分もあっと言う間に、巻き込まれて行きました。
編み物だ、料理だと、毎日のように、どんどん誘われ、主人の同僚の奥さん達なので、断る事も出来ず、かと言って、朝から晩までくっついて、グチャグチャやっている人達に、自分の時間をつぶされる事に我慢出来ませんでした。


今思うと、世間知らずで、子供のままでした。口では自分を主張しなくても、十分自己主張して生きて来たので、一方的に押しつけられる、ノーと言えない状況に抵抗出来ませんでした。そんな事があり、それから、沢山の本を読みました。


次の転勤で、岡山市内に移った時、知り合いが、エホバの証人の学びをしていました。
そんな状態だったので、私も聖書を学びたいと願いました。エホバの証人がどんなものか、全く知らなかったのです。当時は、冊子もお金を取っていたので、変な訪問販売のグループとの印象が強く、何回か学んで、すぐに断りました。


しかし、そんな異端を通してですが、人間には、人間を造られた創造主がおられる、という事を素直に信じる事が出来ました。
ですが、断る際、「この教えを知らずに死んだら、復活して最教育のチャンスがあるが、聞いて止めた者には、永遠の滅びがあるだけだ。」と言われ、では、始めから何も知らせない方が、親切というもんじゃないかと、まるで不幸の手紙をもらったように、不愉快な気持ちになりました。
結局、何もわからず、混乱したまま、それっきり聖書に触れる事もなく、 3度目の転勤地、鳥取県倉吉に引越しました。


こんな私に、神様はどんどん働きかけて下さいました。
転勤してすぐ、娘の七五三で、神社にお参りに行きました。一通りの祈祷が済み、更に数人の子供達は、特別のお払いのため、別の場所に移りました。そのためには、特別料金が必要だったようです。
その時、突然「一体、私はこんなところで何をしているんだろう。」という思いが、身体全体に、ジワ~と広がってきました。
そして、創造主がいるなら、その方は遠い所から、深く悲しんで、見ておられるような気がしました。 今まで沢山の年月を、見知らぬ地で過ごしながら、その時初めて、一人で迷子になったような心細さを覚えました。「本当に神様がおられるなら、私にもわかるように教えて下さい。」と祈りました。

それから数ケ月後、近くの教会の青年が、小さな聖書を持って、訪問伝道にやって来ました。
エホバの証人とは印象が違って、Tシャツにジーパン姿のその青年が配っていた聖書は無料でした。
その青年から、福音を知らされたのです。私は、これが、まことの神様からの祈りの答えと、すぐに素直に信じる事が出来ました。

どこか近くの教会で、毎週礼拝できたらと思い、祈っていました。インターネットで捜していて、すぐ近くに、この教会がある事を知りました。
今このように、毎週、沢山の兄弟姉妹方と一緒に、礼拝できる事を喜んでいます。


今まで11年間、家庭集会だけで、バランスの悪いクリスチャンの歩みをして来ました。
婦人会の学びを通して、神様が私を愛して下さったように、主人や子供を愛して、温もりに満ちた家庭を築くよう、一つ一つ具体的な指針を与えられています。
今、一から整えられるよう、祈っています。