信仰の告白
2009.05.23 22:50
私が、イエス様を信じる前の姿は「自分に自信がなく」「漠然とした不安を感じ」「男性を馬鹿にして軽蔑し」「高慢」なものでした。
子どものころから父のことで母が苦労しているのをそばで見てきて、男性とはなんて不誠実でだらしない存在かと感じていました。
また、小学生から電車で通学していたのですが、毎日のように痴漢に遭い、心がひどく傷つきました。高校生になってある程度体が大きくなってからは自分で防衛したりできるようになりましたが、誰にも助けを求められず、男性はみんな変態で気持ち悪いと思っていました。
そんなこともあって、真剣に誰かを好きになることもありませんでした。
男性とは真剣になる価値のない存在だったのです。
初めの結婚も、そのような気持を捨てきれず、「まあ、男なんてだれでも同じだし大差はないからどうでもいいや。」という感じで、言い切られるままに結婚しました。
結婚生活はお金だけは有り余っていましたが、実に空虚なものでした。
贅沢に遊んだり、旅行したり、食べて飲んで、周りから見たら幸せに見えたかもしれません。
けれど、自分の存在価値をどこにも見つけられなかったのです。
楽しく過ごすだけならば、その時その時、お金で買われた女でもいいじゃないか。家の事なら家政婦を雇えばいいじゃないか。夫の相手が私である必要性が全く感じられなかったのです。
そこにはとても高慢な考えがありました。私が誰でも相手を選べて、今は仕方なくこの人を選んであげているような、こんな生活は私がNOと言えばいつでも私の自由で終わらせることができるかのような、恐ろしい考えでした。
実際、5年ほどで破局を迎えました。
その後は羽を広げて娘と二人でとても楽しみました。元夫からは十分な養育費をもらっていましたし、男性に支配されることのない生活は最高のように感じました。
その一方、数年たつと後悔の念も生まれました。「あの人は悪い人じゃなかった。むしろとても優しい人だったのに、たった一人の夫になった人さえも満足に愛せなくて、私は何だったのだろう。なんて心の冷たい人間だろう。」と。
また、ひとりで娘を育てていく中で、」「もし私が倒れたら娘はどうなるのだ。」と考えれば考えるほど不安になって、自分の健康を保つためにサプリメントを毎月5,6万円分も飲んでいました。ぜんそくも発症してステロイドの薬が手放せなくなっていました。
出かける時も、2,3日泊まれるくらいの荷物を持って、「何があっても私が娘を守る!!」と本気で思っていました。
そんな中、飼っている犬を通じて、友美チプサニムに出会いました。親しくなったころ、散歩しながらおしゃべりしていると、彼女が言いました。「私ね、教会に通っているの。そうしたら旦那に『お前優しくなったな』って言われるようになったの!」「えっっ!!本当?優しくなれるの?私も変わりたい!連れて行って!」と、こんな流れで教会へと導かれました。礼拝では賛美歌を聴いても涙、御言葉を聞いても涙で、心が洗い流されるようでした。朝に、夕に、食事の前にお祈りし、讃美歌を歌って、娘もとても喜んで教会に通っていました。私が確実に神様から愛されていると感じました。今まで自分の存在価値を見いだせずに、いつも不安で、役に立たない人間だと思い込んでいたのに、私が神様の翼の下で保護されているのを感じたのです。また、私が神様をまだ知らなかった時のことでさえ、「なるほど、あれも神様のご計画だった。信じていなかった私でさえ、愛して導いてくださっていた。」というのを何度も感じました。
そうなれば、神様を知って、信じた今、恐れていたものが一つ一つ解決されていくのを見ました。
飲まなければ不健康になると信じて手放せなかったサプリメントが一切必要なくなりました。また、ぜんそくの発作もいつの間にか起きなくなり、通常ぜんそくの完治は難しく
薬でコントロールしていくしかないとされているのに、医師から「もう薬は必要ない」
と診断されました。
ごらんのとおり、もうすぐ40歳のおばさんにしては本当に健康です。
また、幼少期からの深刻な男性不信が解消されました。
愛する人がいるというのはこういう生活なのか。
神様が「主に仕えるように夫に仕えなさい」として、男女を結婚させて祝福されたように
私が自分のために生きるのではなくて、誰かのために悩んだり苦しんだり努力したり
それが喜びに変わることも味わいました。
自分のささげた時間や労力や愛情が必ず報われることも感じました。
もちろん、絵に描いたような幸せなことばかりではありませんし、信仰をもっていなかったら確実に離婚していたであろう危機も何度かありました。
けれど今、夫とともに信仰をもって生活できることが、この上ない幸せです。
決して見捨てず、その手を離さず、期待して信じて祈れば必ず答えを下さる方が
神様です。そして、イエス様を通らなければ神様へは通じることができません。
この場に導かれたことが最高の祝福だと思います。
世の中に偶然はないということ、自分に与えられた使命を感じながら信仰生活を送りたいと思います。
子どものころから父のことで母が苦労しているのをそばで見てきて、男性とはなんて不誠実でだらしない存在かと感じていました。
また、小学生から電車で通学していたのですが、毎日のように痴漢に遭い、心がひどく傷つきました。高校生になってある程度体が大きくなってからは自分で防衛したりできるようになりましたが、誰にも助けを求められず、男性はみんな変態で気持ち悪いと思っていました。
そんなこともあって、真剣に誰かを好きになることもありませんでした。
男性とは真剣になる価値のない存在だったのです。
初めの結婚も、そのような気持を捨てきれず、「まあ、男なんてだれでも同じだし大差はないからどうでもいいや。」という感じで、言い切られるままに結婚しました。
結婚生活はお金だけは有り余っていましたが、実に空虚なものでした。
贅沢に遊んだり、旅行したり、食べて飲んで、周りから見たら幸せに見えたかもしれません。
けれど、自分の存在価値をどこにも見つけられなかったのです。
楽しく過ごすだけならば、その時その時、お金で買われた女でもいいじゃないか。家の事なら家政婦を雇えばいいじゃないか。夫の相手が私である必要性が全く感じられなかったのです。
そこにはとても高慢な考えがありました。私が誰でも相手を選べて、今は仕方なくこの人を選んであげているような、こんな生活は私がNOと言えばいつでも私の自由で終わらせることができるかのような、恐ろしい考えでした。
実際、5年ほどで破局を迎えました。
その後は羽を広げて娘と二人でとても楽しみました。元夫からは十分な養育費をもらっていましたし、男性に支配されることのない生活は最高のように感じました。
その一方、数年たつと後悔の念も生まれました。「あの人は悪い人じゃなかった。むしろとても優しい人だったのに、たった一人の夫になった人さえも満足に愛せなくて、私は何だったのだろう。なんて心の冷たい人間だろう。」と。
また、ひとりで娘を育てていく中で、」「もし私が倒れたら娘はどうなるのだ。」と考えれば考えるほど不安になって、自分の健康を保つためにサプリメントを毎月5,6万円分も飲んでいました。ぜんそくも発症してステロイドの薬が手放せなくなっていました。
出かける時も、2,3日泊まれるくらいの荷物を持って、「何があっても私が娘を守る!!」と本気で思っていました。
そんな中、飼っている犬を通じて、友美チプサニムに出会いました。親しくなったころ、散歩しながらおしゃべりしていると、彼女が言いました。「私ね、教会に通っているの。そうしたら旦那に『お前優しくなったな』って言われるようになったの!」「えっっ!!本当?優しくなれるの?私も変わりたい!連れて行って!」と、こんな流れで教会へと導かれました。礼拝では賛美歌を聴いても涙、御言葉を聞いても涙で、心が洗い流されるようでした。朝に、夕に、食事の前にお祈りし、讃美歌を歌って、娘もとても喜んで教会に通っていました。私が確実に神様から愛されていると感じました。今まで自分の存在価値を見いだせずに、いつも不安で、役に立たない人間だと思い込んでいたのに、私が神様の翼の下で保護されているのを感じたのです。また、私が神様をまだ知らなかった時のことでさえ、「なるほど、あれも神様のご計画だった。信じていなかった私でさえ、愛して導いてくださっていた。」というのを何度も感じました。
そうなれば、神様を知って、信じた今、恐れていたものが一つ一つ解決されていくのを見ました。
飲まなければ不健康になると信じて手放せなかったサプリメントが一切必要なくなりました。また、ぜんそくの発作もいつの間にか起きなくなり、通常ぜんそくの完治は難しく
薬でコントロールしていくしかないとされているのに、医師から「もう薬は必要ない」
と診断されました。
ごらんのとおり、もうすぐ40歳のおばさんにしては本当に健康です。
また、幼少期からの深刻な男性不信が解消されました。
愛する人がいるというのはこういう生活なのか。
神様が「主に仕えるように夫に仕えなさい」として、男女を結婚させて祝福されたように
私が自分のために生きるのではなくて、誰かのために悩んだり苦しんだり努力したり
それが喜びに変わることも味わいました。
自分のささげた時間や労力や愛情が必ず報われることも感じました。
もちろん、絵に描いたような幸せなことばかりではありませんし、信仰をもっていなかったら確実に離婚していたであろう危機も何度かありました。
けれど今、夫とともに信仰をもって生活できることが、この上ない幸せです。
決して見捨てず、その手を離さず、期待して信じて祈れば必ず答えを下さる方が
神様です。そして、イエス様を通らなければ神様へは通じることができません。
この場に導かれたことが最高の祝福だと思います。
世の中に偶然はないということ、自分に与えられた使命を感じながら信仰生活を送りたいと思います。
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